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2012年9月4日火曜日

文字通り美しいラオス


昨日、初めてラオス航空に乗った。「不況だ不況だ」とベトナム人は嘆いているが、それでも8700万人の大国ベトナムの経済の熱は冷めているとは思えないが、その大国のベトナム航空ですら、飛行機の機体に不安を感じているのは僕だけではないけれど、ラオス航空に乗って機内の軽量化された椅子・内装をみて、予算かけていないと即断できるしつらえ。むむむ。でも、よく考えると、ベトナム航空のは重量感ある日航などのまがいものだが、この「軽量鉄骨的安レザー張り」内装と什器備品は格安のLCCの時代を考えれば、これはあり、であって、人口600万人という小さな国でちょっと国力がまだ途上の国の飛行機だからといって、乗った矢先から差別的に不安に思う僕の馬鹿さってなんだ、と思わず反省してしまう。がんばれラオス。

反省もそこそこにワクワクしていると(僕はいつも全く言葉が通じないとか、知らないところに行くとき、心躍る)、いきなり、懐かしい臭気。墨と硯(すずり)の臭いがしてきたんです。どういう事だろう?なぜここで?そういえば僕小学校で3年間ほど書道をやっていて、東北書道展で銀賞とったことある初段なのです(エヘンッ)。六年生の時だから「子供部門」とかじゃあなかったのかな。天然パーマで怖い柴田先生はまだ生きてるかな、てなことは一秒の百分の一の瞬時に思い起こし、臭いの記憶の正確さに改めて感銘を受けたものの、なぜラオス機の中に紛れもない墨の臭いが漂ったのか。結局わからずじまい。僕の前には、ラオスの柔道の選手男女10名ほどがいて、騒がしかったが、それには関係ないと思う。書道と同じ「道」でも、柔道は汗臭いだけだものね。

搭乗してすぐにベトナムの文化との違いが見えてくる。地政学からしてタイやミャンマーに近いせいなのだろうか、制服や巻きスカートの縁取りにあしらった民族柄がそっちに近いし、アオザイに漂う色気とはまるで違って宗教的に性を封じたデザインとなっている。同じ社会主義で、ベトナムの弟分になっているラオスは、ベトナム語を操れる人も多いらしいし、ベトナム国内にも少数民族としてラオ族がいる関係。でも、文化はしっかりタイ仏教風で、ベトナムはすっかり俗世間になり果てているのに比較して健全?何をするにも一瞬目を閉じ、両手をきちんと垂直に合わせ合掌してから動く。見ていて気持ちがいい。だから、TAKEOFF直前の例の「安全ベルトや緊急時の酸素吸入器の対応の仕方」の指導を始める際にも一瞬祈ってから、始めていた。なんかうれしい。ほのぼの。本気にお客様のこと考えてくれている風でさ。

で、美しいスチワーデスがいいね。ベトナム航空の様につんつんしていたり、つまんなそうな顔を見せたり、人によっては怒ってるようにしか見えない御仁もいるのと違って、愛想がいい。それも素人っぽいのが泣かせるね。マニュアルで指導されていないのかもしれないね。微笑みの仕方がそれぞれ違うもの。自分で考えて自分で対応しているようだもの。もちろん、それは接客に限ってであって緊急時はマニュアルは必要だろうが。
で、彼女らの制服がね。どこかちぐはぐに見えたので、頭を巡らせた。制服のデザインは民族衣装をアレンジしたもので、襟元は日本の和装スタイルだ。そうだ、そこに違和感が働いたのだ。

日本では男女とも着物を着ている人の右手の側の着物を先に肌に巻き、左手の方を後に体に巻き付ける。いわゆる「右前」だ(右先といった方がわかりやすい)。天国に行った方はその反対ですね。日本ではね。はい、ラオスの着物風な襟元は、「左前」なのでした。だから見ていて何か違うぞと感じたのだ。麗しい彼女らに送られて機内から降りるときにその「死に衣装」で目を静かに閉じて合掌していただいたので、僕はクスッと微笑を彼女に送った。

ベトナムでも韓国の勢いは止まらない。サムソンなどは、若者の間ではソニー以上の扱いさ。「サムソンはかっこ良い」時代になったのです。で、ラオスの機内誌を見て驚いた。ビエンチャンと韓国:ソウル間の直行便の就航が近いらしいのだ。まだラオス航空は、上海便も台北便も香港便も、成田便もない現在ですよ。凄い。空港ロビーでの韓国企業の広告は、ハノイの空港でもいろいろ目立つけれど、ラオスでも派手だなあ、というより、韓国の国家的「コリア旋風巻き起こし戦略」は見事に成功しつつあるって事です。僕のホテル「DRose ホテル」(一流らしい)の僕の部屋のデスク上にも地元の韓国語カラー新聞がセットされてあった。

昨日はよる18時半ごろホテルについた。インターネットは全館WIFIだし、下手な日本のホテルより快適。さあ、飯にでも行こうかなとおもったが、テレビっ子の僕は癖でテレビをつけてみてやおらザッピングはじめてまもなく、おかしな映像が見えた。言語ははじめ中国語と思ったが、よく考えればここはラオス、初めて聞く言葉だけれど、ラオ語だろうと思う。よく見ると江口洋介がでている。大沢たかおも、奥田英二までもでている。まか不思議なデザインの時代劇だ。劇中で誰かが「ゴエモン」といった、そうか、ちょっとは注目されたあの映画「GOEMON」かあ。あの紀里谷の映画だ。ゲームの内部に入ってしまった感覚の映画であった。まさに血の海、死体の山さ。で、みてしまって、さあ20時だ、レストランに行こうとおもったら、なんと続けて実写映画「カムイ外伝」がはじまったのだ。否、始まってしまったのだった。それじゃあ、見ざるを得ないでしょう。楽しみにしていたラオスの初めてのディナーに遂に行けなかったということさ。何という、僕へのラオスの歓待だろう。偶然とはいえ、これがラオスか。いいね!
で、まだ、街は一切見ていず。


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・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年9月  水虫には歯磨き「つぶ塩」が効く?!
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC /  立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
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・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
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・     3月 「大震災をベトナム人は語る」
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・2011年10月 石巻の大川小学校に行った
・2011年11月 石巻・大川小学校のひまわりのお母さんたち
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・2012月 3月 ベトナムの床屋さんの良い感じ
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・2012年 5月 猫の流転譚 ハノイ漂着
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これからも、よろしく、ご高覧ください。阿部正行




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