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2012年5月15日火曜日

ファイスブック疲れ( fatigue )だってさ。

わかるわかる。すごーくわかる。この僕の倦怠感はそれなんだなあと納得。でも、過剰に使って来たわけでもなく、もともと、友だち何んかいらない方のぼくが、はやりに引きずられて、はじめたわけで、まずはそれが良くないのに、ここでfacebook さんの悪口たたいては失礼だろうけれど、たまには友だちの友だちぐらいから恋が芽生えるやもしれないという、情けない自分の通俗心理が画面の前でちょっと焦心しただけで、みんなに非難されるほどではないが、やはり論理で頭の中を構築したいぼくとしては、友人欲しくないけれども10人位は居ても法に違わないし、毎晩の夕飯の付き合ってくれるローテーションを考えても理はあるし、ふざけてこの2年間会員であったわけでもない。

でも、友人におくった「いいね!」が、どの範囲のどのグループの諸君が目にしているのか。検索すれば、僕のコメントがどの範囲で読まれているのかさえ、これは僕の怠慢から解らないだけで、facebookさんのシステムの性じゃあないんだろうがでも、普通のおっさんが、意欲もないけれど、参加してしまったレベルの低いぼくらにも、解りやすい説明は必要だと思う。僕のface上の友人は限られている。当社盟友NGOC、興南の和泉さん、岸本さん、藤精機の新藤さん、留学財団の堀江さん、医者の松岡さん、コンサル福森さん、娘のはるひ、ベトナム人の元職員や卒業生がそれプラス10人ぐらいかしら。その10人ですら、良く覚えていない人も(ゴメンね)何人か居る。老人だから忘れるんです。老人はどんどん忘れて身軽にしておかないと重すぎて天国に行けないからね。確認のため僕の友人とか言うリストみたら、言いにくいんですが知らない人結構いた。こまったねえ。

でも、いつも、友人の友人という知らない人や僕にとって興味ない人々が20人単位、30名単位で「友人化」を求めてくる。何回も何十回も僕に「友だちになってぇ」と押しかけてくる。嬉しいけれど、俺そんなに20〜30才代の若者の友人はいらないもの。ゴメンね、僕も悪気はないんだよ。ただ、 fatigue してきたのさ。僕もマーケの業界に長く居たので、こういうネズミ講的、そんなことい言っちゃあ悪いかな、連鎖的な販売促進のツールとして、実名の実の友人たちな訳だから、信頼度は高いわけで、何時か使おうと思ってはいるものの、その前に当人が fatigue 。

なんてったって天才が作ったシステムですぞ。IPO直前だから、話題沸騰で金融業界の悪巧みの悪たれたちが、facebookのマイナス面を煽っている。このfatigue もその一つだろう。僕なんかそういうのでもなく全く関係なく、新しい友だちは麗しいGIRLひとり見つかればいいわけだし、ぼくなんか既に付き合う人を減らしてているもんね。沢村貞子さんのエッセーじゃあないけれど「もうそろそろ店じまい」さ。仕事の関係で友情に近い感情、否それと比する以上の理解と気遣いを頂いている人間関係も幾つか幸運にも頂いてきたし、いただいている。大学や高校の友人たちとも違う大人の人間関係だ。特にそれは、お客様の中小企業のトップの方々に多い。それ以外、大学高校の時の何人か除いて、あんまりいらないもんね。そういう貴重な友人関係を得ている以上、facebook で、僕は何を得ようとしているんだろうか。薄くて、どうでもない関係をえて、どうするんだろうね。僕の名前と写真が仮に1000人に行き渡っていても(見られる環境にある)、僕の痛みや悲しみは何処までつたわっているのかしら。もちろん、伝わっているあろうはずもなく、何を期待して友だちの輪を広げていくのかなあ。僕が死んだらその1000人が「いいね!」って、僕の御霊前写真に書き込むのかな?

震災時の絶妙ネーミング「友だち作戦」はアメリカの国家的意志というか、軍事同盟上の戦略であり、狙いは明確だ。友だちにはいろいろあろうというものだろう。そういう意図は勝手だけれど、ずるずると、「名前と写真と学歴」だけ知った「知人」を1万人得てもどうなんだ。景品のないパチンコしたような、というより何が楽しいのか、僕なんか楽しみ方がまるで解らないのだから、始末にわるい訳よ。当社NGOCさんなんか「ブログより、良い」とか僕に挑戦的に言い放ったこともあった一種のfacebook中毒者だけれど、友人の友人たちに「友だちになってぇ」と攻められてて、どう対処しているのか、一度じっくり聞きたいね。彼女の見てると、友人増やしているというより、写真展示場に割り切っているようにもみえる。果たしてそういう絞った使い方もできるのか聞きてみたいが、僕疲れてるので、徐々にfacebookは店じまいだね。よく考えるとfade outの仕方もわかんないよ。

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