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2012年4月20日金曜日

大川小学校にまた訪問して、皆さんとお会いした。


前回はいけなかったが、大川小学校のそばを滔々と流れている北上川の河口に行ってみた。まるで海みたいであった。写真奥上流4キロぐらい左に大川小学校がある。

小学校正面脇に鯉のぼりが設置してあった。

4月15日日曜日に石巻の大川小学校のご遺族のなかの「ひまわり」のお母様たちにお会いしてきた。今度も仙台の弟が車で一緒に来てくれた。今度の東日本の大震災・津波・原発事故では、2万数千人の方が亡くなられ、あるいは不明となっているので、遺族というか、悲しみに暮れたご家族は数十万人もいたのだろうと思う。大川小学校のご遺族たちはその中の小さな単位に過ぎないけれど、生活だけでなく、マスコミの無責任ともおもえる取材攻勢から身を守ることさえ仲間同士で支え合い、この1年間を過ごしてきたようだ。

僕は、何が出来るのであろうか、と自問しながら、ひまわりのお母様と連絡を取り合ってきた。前回10月は、福田さんご夫妻とお会いしたわけだが、今回はわざわざ、ひまわりのお母様のほとんど全員に近い7名の方が来てくれた。自分の子供たちが黒い津波に流された橋のたもとの三角地帯と地元の方が言う場所で、お会いした。後ろの堅牢な交通標語の看板が根本から曲がり折れている。その後ろに水色に見えるのは水量豊かな北上川。このいわゆる三角地帯では、これからチューリップが咲いて、その後ひまわりだそうだ。

僕の出来ることは、今のところお子さんたちの元気であった時の様子をお聞きすることだろうと思っている。短い時間ではあったろうけれど、地球上にお子さんたちが残した痕跡を僕がお母様たちから聞くことなのだろうと思っています。またさらに、ベトナム人の知人たち、学生たちが「大川小学校の種を頂いて、ベトナムに撒いて咲かせよう。そして子供たちの事を思い起こそう」という動きを僕が手伝うことだろう。上の写真で僕が持っている袋には改めて狩野さんからいただいた100〜150粒が入っています。
先々週に先行して、学生たちが撒いた種は芽が出始めた人もいるようです。近日、そういう写真の報告も送ってくることでしょう。

小学校の悲劇ですので、お子さんを兄弟姉妹同時に亡くしたお母様も多い。僕と連絡をいつも取って頂いている僕の隣に居られる福田さんは男の子と女の子の兄弟を同時に亡くしている。三姉妹とか、一家6名とか同時に家族の多くを失った方もいる。その悲しみの大きさと深さは幾ばくか。その事実の中で、立ち尽くすだけで、僕などは何も語れない。
でも「生きてこそ、子供たちに会えるんだよ。死んではならない」と誰かが、彼女らに心を強く持つようにおっしゃったようだ。(了)
廃墟となった小学校右側面と「裏山」といえる雑木林や丘が見える。距離は200メートルも無い印象だ。今回はその辺も歩いてみた。

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