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2012年1月10日火曜日

椎間板ヘルニア男とベトナムMRI

腰を曲げて低い姿勢でとぼとぼ歩く僕。いやはや、老人の体型に急激になってきたってことだろうなあ。でも、現代の東京で、腰曲がったばあさんやじいさんはめっきり見ないぜ。その希少の価値の高い腰曲がり爺に自分がなるとはなあ・・。本当に参ったぜ。僕の喘息の先生の花小金井の松岡先生にメールでハノイから、図々しくも気管支系の先生におききしたのにもかかわらず、丁寧に「たぶんその症状なら椎間板ヘルニアでしょう」とアドバイスくださった。で、病名ははっきりしたので、きりっと屹立出来る日もあろう、と拳に力を入れたところさ。ダイエットの機会を頂いたと思えば、まったくへいちゃら。

実をいうと去年の春あたりから違和感があった。電車でシートに座っていて、降車しようと立ち上がるときに、尾てい骨あたりに痛みに似た重いしびれが時々瞬間走っていた。でも、暖かいベトナムに居ることが多いので、こっちでは忘れることがおおかった、まあそういう程度の痛痒でしかなかったということだ。でも、いつも、ノートのMACをリュックにいれて携えていた。これが重くていけなかったかなあ。そして決定的なことは、年末に余計な荷物を倉庫に移転した際、やらなくても良いのに労働好きの僕は、運んでしまうんだなあ、どうしても。それも数千冊の本もその移動する分に入っているので、トラック屋の兄ちゃんに率先垂範してしまったというわけさ。

老人はみんなそう思っているとおもうが、40才代ぐらいの肉体の強さを維持していると思い込んでいるからね。階段上がればゼイゼイし、テニスすれば、何故か両足が絡まって転んだりさ、バイアグラもこっそり使っているくせにさ、「まだ、40才代さ」の呪縛から逃れられず、リアルを受けられないんだ、絶対認めない。東電と御用学者が「事故はない」と目をつぶって無視してきたも幼稚な心境と同じメンタリティーだと思うね。確かに目をつぶれば、見ないで済むからね。でもさ、「運良く」大病を患った人とかは自分の肉体の今をキチンと受け入れて、丁寧に五体を使おうとしていくよね。

1月2日にハノイに来て、だんだん痛みが増大。今日遂にフンマイ通りにある大好きフランス病院に行った。全身に過剰に汗疹(あせも)風なものが出来たとき、酒飲みたくてブオンの古い酒飲んで倒れたときについで3回目かな。次回に続いて日本語通訳は広瀬さんだ。5年前に旅行でハノイに来て、居着いてしまいベトナムの旦那をもつ子供二人のボーイッシュなお母さんだ。医療用語をベトナム語で操るわけだから凄い。地元の富山とハノイは気候が近いと彼女はいう。子供はそろそろ富山で生活させようかな、とも言っていた。旦那と別居してね。しなやかな印象の女性だ。

汗疹事件の時は中高年の軟派そうなフランス医者で、「メルシーボクー」とか僕がいったら、喜んでいたが、奴が言うには「この汗疹は珍しい。本国の研究所に送る」とかいって、ボクの入れ墨もんもん状態の赤く腫れた全身写真をバシャバシャとっていたが、あれどうなったのかなあ。よく日本の病院では「悪い症例の一覧写真」が大正製薬とか、中外製薬の協賛企業ロゴ付きで、廊下や診察室に貼ってあるよね。あんな風に使用されているのかなあ。恥ずかしいぜ、オレの顔はトリミングして枠外にしたんだろうなぁ。フランスにいる知人から「病院で阿部さんの写真見たよ」なんて言われたら最悪だなあ。

で、車いすだ。今から乗れるようだ。思わず嬉しくなって、微笑んでしまうというか、浮き浮きしちゃうね。シクロは自転車漕ぐ汗だらけのおっさんに申し訳無い気持ちが付きまとう。ストレッチャーも嬉しい。何度か日本でも乗せられたが、廊下をスピード出して疾走するベッドで、うきうきで何食わぬ顔で天上とか左右を盗み見のボク。喜んじゃあいけない。けれど内面は隠せないよね。でも、ストレッチャーは、処置室とか、手術室に向かうので、ドアーの中にはいった時、心は「さあ、覚悟しなくっちゃあ」とつぶやく。だから、車いすが一番良いね。子供の時の自転車ごっこみたいだし、何より子供目線で、縦横に動けるのが嬉しい。(押してくれている通訳の広瀬さんゴメン)

他人様のスキャン写真をライブで見るのは初めてかな。僕の前の順番のお爺さんの老いた脳を10分ぐらいキャメラがあちこち撮るのを、じっくり見た。操作室はなんだか出入り自由なのもベトナムっぽい。ドアも開きっぱなしなんだ。って事は、僕の「局部」ふくんだ腰エリアの動画と写真をみんなで見ることになるんだね。「なんだ日本人も、変わり映えしね」とか言われたりして。それにしても、ズボン脱いで、っていわれて、おいおい、ハノイ寒くて股引はいてんだよ。最悪。ガラス窓の外つまり、操作室には医者と思えない一般市民もいて、股引みせるんかあ。広瀬さんなんか、僕のズボン引っ張って脱がしてくれたくちだから、僕の恥ずかしい股引を一等最初に見せる羽目になった。済みません。

で、MRIのベッドに痛さをこらえて、仰向けに横たわる。何処のメーカーの機械なのだろうか。僕の何時もの癖。デザインを見て、日本製ではないことはすぐ解る。ロシアの宇宙飛行士のアメリカのヘルメットとは全く違うあの地味なデザイン。デザインと言うより必要な要素を押し込めたらこうなったと言うようなあのかなりダサな旧ソ連の形状を思い起こさせる。更に僕に覆い被さってきた宇宙船のような、巨大なフリスビー状の白いもの。これはソ連の名匠タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」の宇宙船かもしくは何かのメカニズムを彷彿とさせた。音がぼんぼんとちょっとあります、とスイッチオンの前に聞かせられたが、もう気分はソラリス。音響がかなり良い。「ズズドド」でディスコ風低音も快調で、まさに空中へ機上した感。宇宙空間に飛び上がりつつ、カメラ技師は僕の萎縮した局部と背骨のクローズアップに精をだしているんだろうか。

このメカが、ロシア製かどうか聞いていないので確信はありませんよ。フランス病院ならフランス製に決まってるよね。でもさ、ちょっと解説しておくと、実はフランス病院にはMRIがないらしいのだ。フランス国家の「ODA」で設立し維持している優良病院にMRIがない。広瀬さんはいつものような風情で隣にある「ハノイ市老人・更年期病院(たぶん)」に車いすで、連れて行ってくれた。そこには知り合いの看護婦や医師が結構いて軽口交わしていた所を見るとしょっちゅう来てるんだね。ということで偶然にこの不思議な宇宙船に隣の老人市民病院にて出会えたのです。ベトナムはベトナム戦争当時ソ連派だ。決して中国とは仲良くなかった。だから、いま、ベトナム政府の幹部は当時若者で、多くはあのモスクワ大学に留学していた人も多いらしく、モスクワ大卒の同窓会が相当の学閥パワーを持っていると聞く。ハノイには、フランス風の建築もまだのこって居るけれど、ソ連というかロシア文化の反映した重厚な大型建築も多い。ということで、あの「ソラリス」風MRIもロシア製である可能性たかいね。

そういうことで、公道をまたまた押してもらってフランス病院にもどり、1時間ほど点滴され大量の薬剤をもらった。今、渡辺京二さんの「逝きし世の面影」平凡社刊が、最高に面白く、長い待ち時間も、点滴の時間も快適であった。江戸後期から、明治中半までに日本に滞在していた西洋人の役人、学者、軍人、商人やその妻たちの出版した大量の日本体験を凄まじいほどに集めたもの。この件は後日キチンと書きます。
ということで、その夜には、痛みは少々薄れてきた・・。階段はまだきついんですがね。
僕の椎間板ヘルニアですが、痛みは激減して、喝采ものですが、痛みって移動するんだね。タイの洪水の様に流れているようで、実はベトナム人医者が「左が良くない」言ったとおりに左足が麻痺状態でしびれと痛さで左膝が割れんばかりの重傷さ。

今日から、復帰してくれた絶対安心・絶対信頼のNGOCさんとか、貿易大の僕のクラスのリーさんに腕をささえられてニコニコの僕、ハノイ貿易大の中を移動し、会議とか、使用教室のチェックとか12日準備に取りかかった。ともかく、歩行困難状態なので、今日2回目の点滴、明日も予定されている。ブオンは、ヘルニアの点滴は5回打つとなおるとか、根拠のないこといってらあ。ただし、ここは中国同様東洋医学の大国でもあるので、日本で直さず、ハノイで直そうかと思って居る。フランス病院出てもいい。腰痛・ヘルニアの専門病院もあるらしい。この際、ハノイで完治めざそうか。


《ブログご高覧感謝》
僕のブログの中でアクセスとページビューが多いタイトルと日付け、紹介致します。
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・2008年9月  水虫には歯磨き「つぶ塩」が効く?!
・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC /  立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
・2011年5月 復興構想に必要な「人口8000万人時代の国づくり」発想
・2011年5月 梅原猛先生が「文明災」について語った。
・2011年6月 消滅している東北弁
・2011年7月 なぎさホテルという哀愁
・2011年7月 辺見庸氏が3・11とその後にある本質を語った。
・2011年10月 石巻の大川小学校に行った
・2011年11月 石巻・大川小学校のひまわりのお母さんたち
・2011年12月 ハノイ貿易大学日本プロジェクトの学生たちのブログができたよ。
・2012年1月 成田空港のバリアフリーと幸せ伝える人

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