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2011年12月17日土曜日

無印良品とユニクロだけの質実なワンパタ生活とMade By Japaneseの時代認識

お金が無いのと、老人的面倒くささが、相まってこちとら、この10年ユニクロと無印良品の二社で衣服から、ベッド、布団、家具や小物、お土産まで、この2社で賄ってきたきた感じがするね。これに「ニトリ」あたりを加えたら完璧だね、たぶん。で、靴は当然ABCマートさ。この数年、ABCで年に1〜2回程度の履き物の買い物は全品ここで済ませてきた。間違いなく品質高い品物多いし、安価だ。ハッシューパピーとか、ポート何とか、コンバースだって、僕の好きな「チロリアンシューズ」だって、かなり安いんだもの。品質良くて、価格が低い。商品としてのポリシー全面展開。だれも文句つけられない生産と小売りだろう。素人の僕にそう見える。

もちろん、中国やバングラディッシュの生産現場での労働環境とか、材料や現地ビジネスでフェアトレードに近い形にキチンとなっているかなど、よく分からないけれど、期待はしたい。さて、無印良品は80年代の初頭、インテリ改革派西武デパートの「ノーブランド」ブランドとして、颯爽と世に出た。堤さんと友人のデザイナー故田中一光さんが、創案したモノだろう。華美や装飾を捨てる生き方の提唱だね。僕なんか鮮烈で嬉しくなって、大分買わされたものだ。でも、時代はバブリーな例の時代だし、僕の様なものでも、時代の雰囲気にほだされて、イタリア系のブレザーとか、靴なんか履いてさ、40才代の「語り部プランナー」として、建築からメディアまで口出して、結構稼いでいたりしていて、自分の人生がやや行方不明になりかけたときでもあったくらいで、そういう高額良品も買えていた。だから、アンビバランツなメンタリティー引きずって、両方納得していたのかも知れない。「田舎者的華美な豊かさ」とそれにアンチな「都市的質実な格好いい生活」をね。

僕はユニクロにはじめ良い感じを持たなかった。まず、イタリアのベネトン「ユナイテッドカラー:ブランド」のまねと思って居たし、ペットボトルのリサイクルの素材開発は聞こえは行けれど、当時のメイン商品のフリースは、結局プラスチックの服着ろ、ってことでどうにも僕にはなじめない。だから、ユニクロを着始めたのは、大分経ってからということになる。でも、新宿の伊勢丹並びにかつて出来た旗艦店ふうなお店で、「羊毛」のベストを買った記憶があり、それだけ当時買ったままで、あまりその後も関心は寄せてこなかった。で、他に行かず買うようになったのは、必要に迫られてだし、2003年12月20日妻晃子(てるこ)が天に渡った後かな・・。「五月蠅い、評論家」でもあった彼女が不在になったので、買いやすくなったこともあったかもね、誰にも何も言わせず、少しずつ商品が増えていった。やっぱあ、フリースから、その道に入ったような気がするね。・・・なんだか、書くきもちになれない。なんだろう。ねんまつなのだから、あと2、3本かかねばいけないのに。ちょっとこのテーマ、中断。お正月に、頭整理して、書きますね。

それまで、去年書いた耕論「Made by Japaneseの時代認識」論を読んでいてください。http://vciat.blogspot.com/2011/03/inmadebyjapanese.html  まもなく、ここもかきますので。


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