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2011年11月13日日曜日

教師の日inベトナム

先生の日というのか教師の日というのか解らないけれど、日本には無い祝日(ベトナムでは休みにはしていない)だが、多くの国に「教師の日」があるようだね。つまり、世界中で教員は給与が少ないけれど、その社会のためにがんばって居るので、年に1回ぐらい「元気づけよう」って考えだろうなあ。ロシアもアメリカも給与は低いって言うし、特に日本語教師の日本国内なんか、悲惨なもののようだ。世界の為政者は共通して、どんな魂胆なのかしら。

たぶん、嫉妬かも知れないね。だってさ、教員は子供のきらきらした眼差しと毎日相対し、完全な信頼関係の上で、コミュニケーション出来る環境にある。また、16,17才の難しい年齢の青年になりかけの少年少女と毎日会える。毎日会って難題を迫られる。これって幸福以外の何ものでもないよね。心とか生活の問題を毎日一人一人の教師は解いて行かねばならない。あるいはほぐして行かねばならない。こんなハッピーな仕事他にあるのかな。

絵描きや音楽家はどうなんだろう。そうだねえ、アーチストは、いいねえ。つぶらな瞳や地球上の絶対的な価値「無垢さ」(と、僕は思って居るわけさ)を想像力の中で描き出す仕事だもの。教員と同列で、同質かもね。ビンボーな人も実は多いと言うことを考えると、教員とアーチストは同じ位置にいるのかも知れないね。つまりさあ、教員の尊い仕事に為政者とか、みんながジェラシー感じて、教員が幸せな分、給与を世界的に削ってるんじゃあないか、と思うのさ。

昔ね、当校にいた赤塚かよこ先生、五百木(いおき)先生、佐藤ふみ先生、あれれ、みんな若い女性陣だね(仕事をしていた当時はみなさん、30才前後)。みんな一生懸命で、志が高かった。男性では早稲田の後輩の湯本くんがよかったね。野球・プロレスマニア尾崎くんも良かった。でも、最高はリタイアー組の遠藤先生だね。残念だが、そういう教員は少ない。極めて少数だ。

写真は、僕のクラスの勇士たち。頑張りと知性はトップレベルです。真ん中のおじさんがニヤケていますね。恥ずかし。

ということで、「教師の日」です、ベトナムは11月20日がそうなのですが、僕がそのころハノイ不在と言うことなので、ハノイ貿易大学の我がクラスが僕のために教師の日を繰り上げ、12日土曜日の夕方に割に近いBIAHOIで盛大にお祝いいただいたと言う訳なのです。うれしくて、涙腺の弱くなった63才、涙がこぼれそうでした。


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・2008年9月  水虫には歯磨き「つぶ塩」が効く?!
・2008年11月 赤塚不二夫先生のこと
・2009年1月 「ジャクリーヌ・ササールとかBB(べべ)とか」
・2009年5月 ゲバラの映画「モーターサイクルダイヤリーズ」
・     5月 カムイと名著「ベストアンドブライテスト」
・2009年10月「救うのは太陽だと思う」
・2009年12月「爆笑問題の失笑問題」・・・・・1日で1440のPV
・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC /  立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
      3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
・2011年5月 復興構想に必要な「人口8000万人時代の国づくり」発想
・2011年5月 梅原猛先生が「文明災」について語った。
・2011年6月 消滅している東北弁
・2011年7月 なぎさホテルという哀愁
・2011年7月 辺見庸氏が3・11とその後にある本質を語った。
・2011年10月 石巻の大川小学校に行った
・2011年11月 石巻・大川小学校のひまわりのお母さんたち
・2011年12月 ハノイ貿易大学日本プロジェクトの学生たちのブログができたよ。
・2012年1月 成田空港のバリアフリーと幸せ伝える人

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