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2011年9月23日金曜日

ベトナムの良いも悪いも「いきなり譚」

今日は結構疲れたなあ。今まで出版する予定の会社と友好裡に事が進んできた。今日、契約書にサインして、編集の細部に入るはずであった。ところが、社長から紹介されためがねを掛けた理知的な印象の若い女性編集者が、いきなり「編集者と言うのは読者の味方です。内容の大幅な変更を私は考えています。話し言葉を書き言葉に全部書き換えてください」といきなり宣った。えへっへへ、おいおい、いきなり何ですかあ。先ほど彼女を社長が紹介したさい、「彼女は大学院を出ています」といったことを思い出した。もちろん、すぐさま同行のルエンに「大学院とか関係ないよ」と日本語はルエンしかわからないので、思わず普通の会話で「くさした」ことも小脳あたりにフラッシュバックしてきた。編集者でマスターだろうが、23,24才の風情で、おいおい、大丈夫かと不安よぎったのが、まさに当たってしまった訳だ。マスター女史がいきなり、著作者に対立関係を挑んできたんだどうしよう。弁護士とか医者は庶民の味方でなくちゃあこまるよね。でも「編集者は読者の味方」とか、どこでそういう科白学んだのだよお〜。

僕なんか、マーケティングコミュニケーションの仕事を30年以上やってきて、本の作成や分厚いカタログ、PR雑誌などの仕事も何十回と体験してきた身からするとね、編集者とは「著作者を鼓舞し、マーケ戦略の方向に領導する高度な演出家」と思って居る。色んな見方もあろうが、そう間違っては居ないはずだ。体験でそう思うようになった訳だからね。それがさあ、「読者の味方で、大幅改造」だという。小娘が何を息巻いてるんだ。俺だって、ベトナムにかれこれ18年の半分は人生の塒(ねぐら)にした人間だよ。あなたの母国が好きだし、君の言い分は冷静に聞けるし、タイトルや見出しの変更、項目の前後の改編、社会主義政権にかなり批判的になってしまっている項目(自立的な市民層の生起に関する展開のあたり)など、話しによっては文面の部分修正・改善のテーブルにのるぜって考えてるんだよ。話し言葉での展開はベトナムで新しさを出すための戦略だしさ。僕の顔をまっすぐ見てご覧、お嬢さん。
だがまてよ、大学でひょっとして社会主義的編集メソッドなる教程があって、「革命家は労働者の味方、編集者は読者の味方。」って、正式に教えているのかも知れない。どんな論理なんだろうね。でもそうであればまあ今日は、貴重な体験ってことになるかな、ふふふ。

問題のいきなりの紛糾は相手出版社のベトナム的な進め方が原因。出版社の女性社長は一瞬、話が破談になることを恐れて、新米のマスター女史をなんだかんだ諫めていたが、事が起きてからでは遅いと日本人の僕は感じる。日本的にいえば、準備不足の極みに見えるからね。だが、我がベトナムはそういった緻密な準備は通常しない。担当者の能力に委ねて会議が始まる。だから、日本のように根回しなど全く無いので、紛糾する事が多い。でも、その紛糾は良くあることだから故に紛糾してからの整理と沈静化と笑顔の回復に長じている。ノウハウが確立しているんだ。日本的会議なら、準備していた課長あたりは減給ものだろうが、そこが文化の違いということなのさ。いきなりの変更、いきなりの発表、いきなりの訪問、いきなりの開始。いきなりの告白は・・ないか。

もちろん、こういう会議のやりとりは通常通訳を通すしかない。僕がそれなりにベトナム語会話が出来たと仮にしても、通訳を使うべきレベルの会議だ。だから、当然当社のルエンさんの双肩に会議の正否は懸かるわけだ。ルエンさんは努力家で何時もがんばってくれるのだが、議論になると相手のベトナム人が言っている内容に溶け込みやすいというか、競り合いを嫌い、相手のペースの上で妥協が図られることが多いと、上司の僕は日常的体験からそう認識している。前の僕の担当のゴックさんは、上司である僕の立場に立って最後まで論陣を張ってくれていた。頼もしい相棒であった。来年戻って来ることに期待しているが、かわいいルエンに速いところ闘いの仕方をもっと指導しておかねばならないね。で、僕がハノイに居ないので、10月初旬に僕と出版の社長と書店ネットワークの社長と「ベトナムでたくさん売れるには、どうするか」に付いて会議することとなった。2,3週間分は時間が後退してしまったぜ。僕は12月1日の「クリスマス商戦」開始に間に合わせることにこだわっているのだが、さてさて・・・。ベトナムの「いきなり譚(たん)」の顛末でした。

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