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2011年9月9日金曜日

「幻景の明治」

大分前から、ちょこちょこ気分転換というか、読書気分に変化をあたえるためのに読んでいた前田愛「幻景の明治」(岩波現代文庫)とか、初夏からなんだか滞りぎみで「まいったな〜」の大佛次郎「天皇の世紀 第五巻」(全十二巻)もだし、更に古本屋で見つけた村上光彦「大佛次郎 その精神の冒険」(朝日選書)と、先月くらいから、ときどき楽しませてもらってる玄侑宗久「荘子と遊ぶ」(筑摩選書)、前回ちょっと触れた宮本常一「民俗誌 忘れられた日本人」(岩波文庫)をハノイの自室に持ってきて、ベッドに横たわって、寝るまで読んでいる。だから、仰向けになって両腕を天に突いてページめくってるのだから、本が顔に落ちて気がつくか、起きたら大抵本がシーツの上に落っこちていて、何処まで読んだかわかんない状態になっていること多し。なお、亀山翻訳版ドストエフスキーの「悪霊 全三巻」(光文社古典文庫)の三巻目がなかなか出来て来ない。マーケ戦略的に「焦らせ」で販売を遅らせているのかも知れないなぁ。全く読者無視だぜ。本当は買ってこっちに持ってきたかったのに。

今回はハノイ三週間以上なので、上記のように持ってきた本はいつもよりおおいが、大学での僕の講義用の「入社一年目の教科書」(ダイアモンド社)とかマーケティングの本とか、持参の本はいつもの何倍もだ。上記の大佛次郎の作品群の論評を書いた村上光彦さんって初めての人でよく知らないが大佛さんの大フアンが、嵩じて一冊書いたような言葉の配列をしていて、つまり、書く前に既に構想も展開も記述もほとんどまとまっていた様子が感じられたんだ。そして情熱的でいて、しかも清冽だし、作家に対する愛おしさが嬉しくなる。成蹊の教授だそうで、知られていないけれどかなりの良本だね。この本1972年の出版の古本だから、早稲田を中退して僕が東映の撮影所にいた頃に出版された本ということになる。当時ベトナム反戦闘争はまだ継続していたが、連合赤軍の痛ましい自壊があった年であって、僕が愛する晃子(てるこ)と3月5日結婚した年でもあった。僕22才、仕事はテレビ映画の助監督という時代さ。彼女も僕と同じで早稲田の第一法学部を出て23才、赤瀬川源平さんや中村宏さんらが教員で居た現代思潮社経営の「美学校」で彫塑を学びつつ、駿台予備校の理事長の秘書をしていた。晃子は美しく聡明であった。彼女のスマイルが今目蓋に鮮やかに生起して声や息づかいまで蘇る。

昨日、ベトナムの最大全国紙「人民 ニャンザン」と「労働新聞 ラオドン」に取材された。

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