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2011年3月23日水曜日

大震災をベトナム人は語り、動く《4》

ベトナムの理工系名門ハノイ工科大学のキャンパスで熱心に募金を求めているハノイ工科大生の有志グループ。君たちの気持ちは必ず、日本の多くの被災者に届きますよ。
そのボランティア学生たちのそばに出ていた日本への義援金を求める彼らの「応援ニッポン」立て看板。彼らの誰かが、写真を撮る僕に頑張ってください、と言いました。ありがとう。ハノイの若者たち!

■41 会計士のランさん(女性)が、仙台への支援物資ということで、豚の肉を干した「ルオック」を3キロばかり持ってきた。それも最高級品らしい。これは形状は柔らかく細かく刻んである”あたりめ”風のものだ。でもつまみではなく、ベトナムの伝統的なご飯の振りかけなのだ。これがとても旨い。ベトナムのいわばササニシキである「バック・フン 北の香」というお米を炊いたアッチッチのご飯にこのルオックを振りかけて食べると、おかずは全くいらない。かつ十分な栄養素も揃っていると言う。彼女が支援物資としてこれを考えてくれたのは、たぶんこの理由だと思う。僕はこの支援物資を今回帰国時に仙台の被災地に届ける義務がある。どうしたらいいか、仙台二高の19卒幹事の庄子に相談するつもりだ。当校のスタッフが集めている義援金も結構集まりつつ在るという。本当にその志がうれしい。

■42 これはブオンからの伝聞だ。昨日、タクシーに乗った際にドライバーと彼女は日本の津波と震災の話題になって、ドライバー氏曰く「今までは、外人を乗せるとどうせ地理が解らないから、適当に遠回りしたり、メータの数字の読み方をごまかしたりしたけれど、最近のテレビでの被災した日本人たちの態度は立派だ。はっきり言ってベトナム人はああには成れない。本当に日本人の社会の秩序は見事だと思った。だから今後は、お前はJAPANか、と聞いてコリアとか、チャイナなら、今まで通りだが、日本人と解れば正規より安くする」と語ったという。これも有り難い話だ。

■43 本当に驚いた。僕が、帰国のためにハノイのオフィスを出る直前の24日21時ころ、ベトナムで地震が起きたのだ。ハノイの当校の校舎はゆっくりとはっきり解る様に何度も前後に揺れた。世界大地震か?ベトナムもかあ!ベトナムの建築物は煉瓦積みだし、構造の計算など全くしないで、5階建位の建築物を造っているし、歴史的にほとんど地震がないので、まったく建築物の耐震に付いて知識や経験が建築・工事社に無いことを、僕は充分に承知しているので、その分その揺れを感じながら僕の顔から血の気が引いて行くのがはっきり解った。「震度2で、街の大半は倒壊だなあ」というのが、現地に詳しい僕らの半分冗談の認識だった。それが、リアルに来ると、顔もすっかり青くなるよ。今となっては市内で崩壊した建築物がなかったのが不思議な位だと本心で思う。これはミャンマーが震源地で、そこでは数十人が死亡したと伝えられている。

□■□ 出来るだけ、生の声や意見を拾っておきたい。ベトナム人が描く、あるいはイメージする日本人の輪郭が少しでも解ればと思う。が、通訳を使っているため、ドラフトのところが幾分そがれるのと、ベトナムマスコミは符丁合わせの様に一斉に「日本人は凄い。立派。復興早いぞ。」を流しているので、どうしても意見が同方向になりやすい環境にある。多分、去年日本から”買わされた”原発の工事の推進を恙無く進めるためとも読める。が、政府とは全く無関係にベトナムの市民は一人一人、自分の事のように日本の悲しみを感受している。僕はその自然な健全な彼らの感情から発する言葉をなるべく拾いたいと考えて居ます。出来るだけ継続してゆきます。 25日から、東京に来たので、彼らの言葉が拾いにくいので、ちょっと中断(来週に東京でベトナムの若い人に数人にあったとき、また加筆)。

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