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2011年3月23日水曜日

17才の僕らの「風に吹かれて」1966

エビスビールのコマーシャルで、風の国のビールですと役所広司がつぶやいて、旨そうにビールを飲んでいた。風の名称がほんとに2000もあるのかいな、と思いつつ風という浪漫がもつ響きで、ボブ・ディラン「風に吹かれて」を思い起こした。そして45年前の僕たちの姿をもね。

How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
Yes, 'n' how many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
Yes, 'n' how many times must the cannon balls fly
Before they're forever banned?
The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

どれだけ遠くまで歩けば大人になれるの?
どれだけ金を払えば満足できるの?
どれだけミサイルが飛んだら戦争が終わるの?

その答えは風の中さ 風が知ってるだけさ
・・・・
翻訳は数々あるが、これは忌野清志郎の翻訳である。ディランは、当時の英語詩翻訳の代表格であった片桐ユズル氏の訳詞が気に入っていなかったという風評も強く、未だ定番の訳がない。特にもっとも大切なラスト2行のニュアンスが、微妙だね。
英語の苦手な僕ですが、僕なりの解釈はこうだ。

「(友よ!)答とは(昔から)風の中にあるものさ。答はいつも風の中で舞っている。」

この詩は解説するまでもなく、1960年代の全世界の若者の心象を現していたのであった。当時、ジョンバエズや、PPMとかの厭戦的なフォークは他にいくつもあったが、全世界的なベトナム反戦闘争の時代の若者の思いと声に応えていた歌はこの「風に吹かれて」であった。僕は特別に音楽少年ではなかったが、中学3年でビートルズの衝撃を受けていた僕は、ローリングストーンズも聞き始めていて、「洋楽」一辺倒の音楽ライフに浸っていた。小島正雄の9500万人のポピュラーリクエストくらいしか田舎の高校生に情報はなかったが、ニール・セダカ、ポールとポーラ、カスケーズ、シルビーバルタン、リトル・ペギー・マーチ、ビージーズ、スコット・マッケンジー、フランス・ギャルとかのきら星が限りなく居て、ラジオや買った来たドーナッツ盤を通して僕たちに次々と新鮮な楽曲を提供していた。もちろんザ・タイガース、カーナビーツ、オックスなどのGSも盛り上がっていた。

それを僕たちは魂と肉体にすり込むように毎日聞き入ったよね。また僕らは小学校の時から、「うちのママは世界一」「パパ大好き」「名犬リンチンチン」「名犬ラッシー」「サーフサイド6」「ルート66」「ビーバーちゃん」「陽気なネルソン」「ララミー牧場」「ローハイド」「幌馬車隊」「ハイウェイパトロール」「ライフルマン」などのアメリカ製テレビドラマの洪水の中で育った。だから僕たちのあこがれはアメリカだった。僕たちは価値感とか、正義感もそれで学んで高校生になった。

1966年秋だと思う。仙台二高の小さなサークルである映画愛好会(学校そばの河原で昼間から宴会して酔っぱらい、後日、学校に解散させたれた)の会長であった僕に音楽好きの後輩の小野寺が、頭ぼうぼうで髪が逆立ちしているような風貌だが、顔は憂いがあるようなハンサム男の写真を僕に見せてくれた。これが、噂のボブ・ディランだという。奴は、「彼は、朝起きて髪もとかさず、そのままレコーディングにいったり」「いつも風来坊で、レコード会社も困っているらしい」と、かなり低レベルの評論を校舎三階にある映画愛好会の狭い部室で、ぼくに言ったものだ。「スゲーナー」僕なんかそれだけで、ぱっと未来が見えた気がした。その相貌だけでね。日本の高校生はみんな「バイタリス」を頭に振りかけ櫛を入れていた時代にだ。そのとき僕は、本当に衝撃を受けた。これが、あのボブ・ディランか。そうか、あちらの文化は今そうなっているのか。ハリウッド製アメリカのテレビドラマの幸せな家族は幻想だったのだな。

その写真を見つめ、僕はビートルズやストーンズとも違い、つまり音楽の革命性だけでない俺たちの時代の生き方を一瞬にして、予見できたような気がした。ああそういうことか、僕らには、もう一つの生き方があるんだ、とぼくはそう合点した。たかだか5分ぐらいのたわいない高校三年生の会話の中だったが、人生を変えた一瞬であったのかもしれない。「よし、東京へいって、どうしようもない大人たちに闘いを挑もう」と僕は決意した。
 
音楽は世界を変える、なんていうフレーズはきらいで、「へっ」何言ってんだよ、具体的な闘いだけが状況を突破するのだ、十代は真剣に思考していた。でもやはり、音楽は世界を変えうるパワーを持っている。それはいま、はっきりとしているね。若者が思うほどには世の中は急激に変化しない。そう、答はいつも風の中で舞(ま)っているだけだからね。

3月11日、二高の友人の一人をあの津波が奪った。さらに既にこの45年間に無念にも病死や事故の死、そして自死に至ってしまった僕たち二高の同期生の何人かの面影も今改めて思い起こす。青春という何にも代え難い最も大切な時間を共に歩んだ友人たちに僕はオマージュとしてその時代の一つの心象を捧げたいと思った。じゃあね、もう少し経ったら、僕たちも行くさ。
*去年7月にブログに記載した「僕の風に吹かれて」を加筆再編集した。

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