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2010年12月31日金曜日

映画「ノルウェイの森」の失態

■今日は大晦日だ。村上さんとベトナム人トラン・アン・ユン監督の作品だし松山ケンイチだしと思い、昨日のうちに席を珍しく予約してちょっと早めに一人で新宿に出た。30分ほど早めに着いたので何かお腹に入れておこうと思い立ち、何故か「桂花ラーメン」喰いたしという事を身体が思い出したようで、何十年ぶりか足早に行ってみた。本年春のニュースでは桂花は倒産の憂き目を見そうであったが、とある九州の企業が助太刀をしたという人情話が流されていたので、安心して新宿駅前店を訪ねてあの独特のスープを口に運んだ。僕は今から35年ぐらい前に、東映の監督の梶間俊一君に新宿三丁目店を紹介されてこの味を知った。当時は九州の豚骨スープ味系が東京で全く流布されていない時代で、普通の醤油ラーメン以外はサッポロ味噌ラーメンしかなかった。だから桂花の味は美味しかったが、美味しいという前に不思議な味わいに驚いた記憶がある。で、僕はそそくさと堅めの例の麺をかみ切りながら平らげて、新装のコンプレックス新宿松竹に向かった。

■僕は「青いパパイヤの香り」と「夏至」を見ていたので、小津さんの影響らしさとか、執拗なクローズアップの連続の独特さ等の美しさと画面の落ち着きを評価していたので、TRAN ANH HUNG監督に期待していた(ハノイ読みなら、チャン・アイン・フン)。
さて、言うまでも無い。プロデューサーの仕事の大半は観客に支持される映画作りになっているかどうかを判断する事だ。特に原作が村上文学だから簡単ではないが、この作品では鮮烈な時代的印象を残して「直子」は死ななければならない。でも、その「直子」に菊池凛子を選ばざるを得ないほど、日本の20才代の女優陣は誰もいないのだろうか。生死の意味を問う役柄なら蒼井優だって良いし、他にもいそうだ。ベトナム人の監督と仕事をするのはプロデューサーも大変であったろう。まあ、フランス人と言った方が良いかもしれないが。でもだよ、この映画のプロデューサーは、(誰だか知らないが)、あの・・「パパイアの青き香り」の「ユン監督」と仕事が出来るという事に引っ張られた感が強い。己の判断つまり、助演女優直子を誰にするかの重要な志向と判断の基準を何処に置いたのだろうか。ユン監督は当代随一のアーチストの一人だから、プロデューサーが妥協したのだろうか。僕から見るとプロデューサーが不在であった。決定的なミスをこの映画の制作者のトップ二人はしてしまったのだ。まあ、失態を曝してしまったということだ。

問題はそのキャスティングだけでは無い。性と性交に付いての言葉の使い方についてもだ。連射される性の言辞が臆面もなく露わで上手く包み込むものも無く、日本人には聞くに堪えないと思うほど頻繁に役者たちは言わせられているのだが、映像とまるでモンタージュされておらず、文学の文字上のイメージの交差の豊かさに比すると「大空振り」も良いところの無惨さなのだ。映像と台詞のすれ違いは想像力を喚起せず、見る者に苛立ちを投与してしまう。そんな苛立ちを美しい画面から投与される僕ら観客の身になって欲しいぜ。画像が全体的に美しく、バランス良く配列されて居る分だけ、僕らの期待は混乱する。シナリオはユン監督が書いたようだ。もちろんフランス語だろう。それを誰かフランス人の日本語翻訳者が翻訳し、それを日本人翻訳者がオリジナル台本を照合しながら、調整したと思われる。多分これの反対の作業の流れでは無いと思われるね。もし、この作業を反対の流れにしたなら「科白の言葉」が微妙にでも救われたかも、と思うのは僕だけじゃあないだろう。これも、プロデューサーのプロとしての勘と実行力だぜ。村上さんの1960年代後半の当時の早稲田の騒擾のキャンパスに対する位相がそうであるように、同時代者である僕らにとって「性」は重要なモーメントで在ったが、最も僕らの心情というか激情の周辺を囲んでいた要素はヒューマンな理想主義であり、世代的な焦燥感であり、世界性を獲得したいという想像力への出血や吐き気の伴う創造過程であった。

従って、「ワタナベ」を演ずる松山ケンイチの一つ一つの相貌と語り口調は、60年代的雰囲気を漂わせて好感がもてるが、全体像で見る「ワタナベ」は軽々さが妙に前に出ていて、村上さんのイメージとはズレが生じているはずだ。当たり前だが、映画と文学は別な作品であるので、村上さんはそのズレをズレと見ないように評価したかもしれないが、文学と映画を一体と把握し「ノルウェイの森」の意味を確かめたい普通の観客は助演女優のキャストミス、画像と言葉のモンタージュ未消化、松山ケンイチのズレた存在をどういう角度から捉えたらいいのか混乱させられ、仕方ないので敢えて画面中に無理しても意味を模索せざるを得ない気持ちにさせられているのではないだろうか。ただ、ユン監督らしい落ち着いた画面の構成は優としたい。また「緑」の新人水原希子は悪くない。玉山鉄二の永沢は良いポジションを確保しているのだがもっと強烈で不可思議にすべきであった。シャブロール監督の「いとこ同士」(1959年)の助演ジャン・クロード・ブリアリを想起して僕は永山を見ていた。最後に流れる字幕の「学生運動監修」とかいう項があり、そこに早稲田の友人の名前があって思わずプッと吹いたぜ。でも、彼はリアルな”時代考証”の映像化に結構寄与していたね。

何年かぶりに日本映画を劇場で見た。新宿松竹のガラスで出来たようなシネマコンプレックスに初めて入って戸惑った。チケットの買い方や持ち込みの飲食の仕方も随分と変化していた。入場の仕方もルールができている様で、途中からの入場も不可となっていた。僕などは昔から上映予定時間に行かず途中から見て約1回半みる楽しみ方をしていた口なので、なにやらオンタイムのみエスカレータに乗って運ばれ、決まった時間に退場させられるこの劇場に健全であかるいハリウッド映画に相応しい洗練ビジネスシステムだけが目につき滅入ってしまった。映画と劇場の持つ期待感と不安と、別世界に観客が惹かれてゆく闇の魔力がもはや消滅させられていたことに強く気づかされ、溜息をついてしまったということだ。今どきの劇場(小屋)の様を新宿松竹の透明感溢れた現代建築の中で味わされた今回の久しぶりの劇場行きであった。
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・2010年1月 阿倍仲麻呂はハノイの知事である。
・2010年2月 MAC・MAC / 立松和平さんの死。
・2010年3月 「サンデープロジェクトの打ち切り秘話」
・2010年12月 映画「ノルウエーの森」の失態
・2011年1月 「お笑いの山崎邦正のベトナムアルバイト」
・2011年3月 メイドインジャパンから「Made by JAPANESE」の時代認識へ
      3月 「大震災をベトナム人は語る」
・2011年4月 映画「東京物語・荒野の7人・シンドラーのリストほか」
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