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2010年10月10日日曜日

遷都1000年とノーベル賞

■1949年湯川秀樹京都大学教授が日本人で初めてノーベル物理学賞を受賞したニュースが当時の日本にどのような衝撃を与えたのだろうか。敗戦し廃墟となった日本にとってはまさにこれからの明るい未来を象徴する最高の精神的プレゼントであったろう。敗戦から4年が経ち、今の日本人と違って生命力の強い当時の日本人は工業や商業だけでなく、闇市も一定の秩序すなわち流通や物流も形をなして来始めた時期であるものの、それこそ、世界から日本製品は猿まね、壊れやすいなどの非難がこの新興国に相次いでいた時期でもあろう。そのときにまさしくオリジナルな量子力学の理論で、ノーベル賞を受賞したのだ。日本国民の喜び様は、どのくらいのものであったろうか。また、湯川博士が東京大学でなく、京都大学であったことも、実は心理的に国民にフィットしたと思われる。第二次世界大戦に引きずり込んだ大多数の指導者は、東京大学卒業者であったからね。だから、京大は自由の象徴としても人々に愛されることになった。この湯川受賞の自信回復は戦後日本のエポックメイキングな出来事であったろう。

欧米の科学技術の壁に敗戦したという思いに上乗せて、この受賞によって日本の若い学究者や学生たちに政治や経済ではなく、科学技術こそが国作りの基礎になるという意識はこのような環境の中で培われたと思う。僕が小さいとき東北大理学部マスターであった母の弟も「遊びたい人は経済にいくのさ」と言っていたような、彼ではなかったかもしれないが昭和20年代30年代は理工学部へ行くこと、また科学を学ぶ事の大切さが、大学にも行かない多くの庶民にさえ、共通の認識であった気がする。科学の子アトムが生まれた日本だものね。

今、民主党は無能で、何もできないでいるし、自民党もあら探ししかテーマに無いようだし、公明とか日共は、自組織の維持で精一杯で完全に政治過程の欄外。日本人はかねてから大きな構想作りは、苦手にしてきた。でも、それにしてもだよ、いま日本の政治に大局的見地らしいものが全く見えないよね。これほど指針がない政治状況もおそらく初めてじゃあないか。僕らは、何に希望を託せばいいのかいなあ。はい、はい、はじめからやっぱー託しちゃいけないんだよね。政治は基本的に無視する事しかない。僕ら老人の将来は決まってしまっているしどうでも良いが、感受性の強く、今からの将来がある中学生とか、高校生は今後どうしていくのだろう。本当に可哀想だぜ。このような参考にも反面教師にすらなりもしない大人たちに囲まれてさ。ここを何とかしないと完全に凋落するしかない。ギリシャやローマの様に凋落後、数百年はだんまりを決め込むほかは無いだろうね。2年ほど前秋葉原で、多くの死傷者生んだ大きな事件が発生した。派遣社員加藤という人物が犯人であったが、彼の行為はインターネット上で、あろう事か英雄に祭り上げられていた。僕らはそういう国に住んでいる。国の骨格が無いどころか、神経や皮膚すらも訳もわからない病に冒されつつある。

今回の北大の鈴木章名誉教授と根岸栄一パデュー大教授(東大工卒)の受賞の僕らの嬉しさも、2年前の小林、増川、下村の名古屋大学関係トリオの時もそうでしたね。純粋にうれしい。日本人の地力というか、本来持っている能力が堂々と発揮される科学世界は、いいなあっと思うね。東北大の田中さん(島津製作所)の時も地道に努力することの大切さが、まさに証明されたようで、嬉しかったね。鈴木先生と根岸先生の快挙もいわずもがなだが、たいてい受賞の評価は30年、40年以上前の功績である。基礎研究にまだまだ予算が与えられ、それが、良いことなのだ、そうでないといけないという常識が働いていた時代の産物ですね。NHKなども、大分「ノーベル賞受賞者と子供たちの接触」をテーマにして、企画をしているようだ。が、まさしく、政府が、東工大でた理系の菅さんが、中高生と受賞の巨人たちの交わりを政策化すべきじゃあないの。子供の頃、天才や巨人とであった人は幸せだよ。会えただけで何かを得るものだよ。こういう施策を積極的にできないのか。僕らの日本は、現在の子供たちの能力と努力に運命が掛かっている。

いま、ベトナム人の青年向けに「日本語を学んで、サムライにならないか・・・日本企業へ就職の薦めとガイダンス(仮題)」という本を書いている。日本語で書いて、ベトナム語に翻訳して、ベトナム全土で発売するものだ。300ぺージもの中に、僕は日本の良いことをたくさん書いた。書きながらむずがゆい。というより、日本についての嘘を書いているかもしれないという責めもある。ベトナムのある長老が昔僕にこういった。「日本がロシアに戦勝したときの衝撃は世界を揺るがした」と、老人の父親が彼に言ったらしい。「それ以降、アジアの民衆は日本に尊敬の気持ちを持つようになった」と。思い起こすとまさにそうだね。魯迅、孫文、周恩来、チャンドラ・ボースなど歴史に名前を刻んだ人々だけでなく、アジアの何千人という優秀学生や若き革命家が、青年期の留学などの居場所として日本を選んでいた。日本には新興の生命力が横溢していたのだろう。次の何かが期待できる魅力的な国であったんだ、当時はね。僕が今まさに、今これを書いているベトナムの様にね。

■昨日の夜に、予感もあった。夜夜中まで、ハノイ工科大とか、統一公園横をとおっている市内幹線のうちのひとつレズアン通りなど、若者であふれており、バイクも車も立ち往生といった風情であった。テトは、国民の大半が帰郷するので、意外に静かだが、初めてのお祭りこの「遷都1000年祭」は、どう祝って良いか解らない青年たちが、ともかく夜右往左往していた。で、ブオンに言われたままに、10日朝9時に家を出て、ホアンキエムに向かって歩いた。「なんだ、バスもタクシーもバイクも通常通りだぜ」、とか愚痴を言いながら遠くの右に国営デパート(戦争前からのいわば「高島屋」)が見えてきた頃から、状況が一変した。数千、いや数万のホアンキエム湖から戻って来る群衆が今からそこに行こうとする数万の徒歩の人々と交差し始めたのだ。軍事パレードなどの催しものが終わったらしく帰途する群衆。何かやってそうだなとデパートの交差点からホアンキエム湖に近づこうとする刺激を求める強気の人々。これも数万かもなあ。まさにラグビーのスクラムだあ。それに車と突入してくるバイクも絡むので阿鼻叫喚。でもそこを超えると歩行者天国をやっていた。懐かしいほどの快感のある空間が一応演出されていた。ただ、驚くのは、なにもやっていないのに、ただ人は集まっていたことだ。僕もね。

驚きはホアンキエム湖の周りに人が溢れ、湖の岸に人垣がほぼ一周分できていた。何をするでなし。お祝いに来た、でも見るモノがない数万人が湖面に佇んだり押し合いへし合いのお散歩。お調子者は木や電柱に登る。昔から何処の国でも共通の現象だ。ホアンキエムでも、バカな若衆が木々にあがりふざけていた。「阪神フアンなら、こういう時、川や湖に次々飛び込むものさ」と、思いながらブオンとデザイナーフックさんがバイクで迎えにくるはずで、大混乱のホアンキエム周辺から脱し、白い館メトロポールソフィテルに向かった。そこいらでは空間に余裕がでたのでやっと気づいたが、凛々しく赤いはじまきをしている青年が目立った。何百人もいそうだ。額の刻した文字は読めないが「1000」は読める。おそらく「祝ハノイ1000年」というような事だろう。高校生か大学生の様だ。これらを見て思った。「江戸東京祝500年」とかのはじ巻きを凛々しく巻く東京の高校生が果たしているか。もちろん、一人もいないと言っていい。居ないのが当たり前で、それをいま、とやかく言うつもりは毛頭無い。だけれども、ハノイには、確実に存在している。「遷都1000年」に誇りをもっている青年たちが、確実に何十万人もここには居るのだ。都会から来た僕らなどに稚拙に見えていようとも、断固として国や郷土を思う途方もない数の若者たちがこの国にいるという現実。

20歳前後の数年間、日本とアメリカという帝国主義に牙を向けていた僕にはナショナリズムは、苦手だし、毛嫌いの対象でしかなかったね。でも、このごろナショナリズムの意味を時々考えることがある。そういう意味ではベトナムは僕にとって学習の場だね。
ノーベル賞は、欧米の価値観で決まるので、ハンディーキャップがあるけれど、ベトナム人が理工系分野で(現在欧米の在住者であれ)ノーベル賞を取ることを心から祈念したい。僕らの仕事もその一助になれば嬉しいね。

アントニオ・ネグリなどが9・11以後に捉えた「帝国」概念は、実はアメリカから中国に遷移しつつあるのではないかと思うこの頃ですが、「国家資本主義」中国は、自国のノーベル賞受賞を隠さなくてはならない事態に遭遇した。過去をみても、佐藤栄作に平和賞を与えるいい加減なノーベル賞委員会ではあるが、今回の劉暁波さんの平和賞受賞は、すでに、今春から、中国政府に圧力を受けていながらも民主化活動家で「08憲章」を起草した彼に贈ったことは、評価されて良いだろう。今後、中国の対応が見物だ。孔子、老子、孫子の国として?あるいは世界の新「帝国」として対応するのか。現在のところ二流の「国家資本主義」国としての振る舞いに終始している。そんな中で、中国共産党の元幹部の老人たちが、憲法を盾に自由を求めて反撃に出始めたようだ。

■大佛次郎「天皇の世紀」全12巻文春文庫を読んでいる。まだ、第二巻の320ページ。今回ハノイに居る間に第三巻に移行できそうだ。井伊大老の一見傲慢に見えるが、計算し尽くされた対水戸斉昭攻撃。これに対抗する水老こと斉昭らの攘夷派、実は息子徳川慶喜を将軍にする画策。分裂する京都の公家や禁裏サイド。水戸派の京都結集に対抗する幕府の京都支配はどうなるか。歴史というドラマは、現代人の知る映画や小説のシノプシスを軽々と超越してゆく。大佛さんと朝日新聞担当部門の資料収集のすごさと解析と抽出のエネルギーを改めてまざまざと知らししめる。何せ、資料分が30〜45%を占めているわけで、それが全部候(そうろう)文だから、どうしても読み解きに時間を要するので、大変は大変。でも追体験できる魔力が読者を離さない。

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