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2010年2月6日土曜日

マッキントッシュで20年

当校スタッフは、本日土曜に拘わらず、一心不乱に明日の準備に勤しんでいる。僕も何かやらせてよ、といってもNGOCさんあたりに「良いですから、御茶でも飲んでて」ときっぱり。凄いね。で、ブオンが持ってきたランチを食べながら、ブログのネタを考えていた。MACがいいね、と良い案がひらめいたが、僕だけノンビリとブログなぞ、認ためてて良いのかいな。さて、マックだけ使って20年だ。1990年からだから、丁度というわけだ。その前は、義理の兄が富士通の役員であったので、どうでも良いが余り考えずに、親指シフト程度の話題性でオアシスを2台買って、僕は自分の会社を90年に青山で起業したのであった。しばらくして、松岡正剛さんのところの太田くんの推奨とPC詳しい当社スタッフのお薦めでマックを買い始めた。トラックボールがついた黒いノート(パワーブックだったかな)とか、縦型のかわいい一体型のモノクロ画面のものであったと思う。

マックは楽しい。そして可愛いのである。マイクロソフトはダサクて、使いにくい上に独占的で高飛車。いかにも帝国主義そのものだ。大体ウインドウズなど名乗れる資格などないんだでよ〜。マックはその何年も前から、画面ではウインドウシステムで、マックの良さの一つであったんだ。マネしてくるなよ、と文句のひとつも言いたくなる。マッキントッシュ(ベトナムでも非主流派。マッシントッシュと発音)のベトナムでの販売代理店をやりたくて、1993〜4年、結構動いた時期があった。アップル日本の友人の幹部から、米国本社を紹介され、東南アジアの総合代理店であるシンガポールの何とか社にわざわざ会議に行って・・。何故かしら当時ベトナムのアップル社の総合代理店はホーチミン市にある共産党総婦人同盟とでも訳すようないかめしい団体がやっており、その副会長に直談判でハノイでの権利を分けてくれるように交渉したっけ。

副会長殿は、40歳代後半の長身で周囲を圧倒する知的な美人であった。高級そうなアオザイの出で立ちで、交渉に臨んでこられたときは美しい上に英語も堪能で僕はその聡明さにしてやられ、初頭から上気気味。僕の脳内メーカーは「美・好き・SEXY・恭順」の文字だらけ。このカリスマ的美人を妻にしてるのはどんな奴だあ。こういう場合、夫は意外に大したことの無い男のはずだとか、つぶやきながら、45才の僕は目を輝かせた。真野響子さんがブルー系のアオザイをお召して颯爽と僕に近づいてくるイメージだったような。

マッキントッシュはビジネスの中で成り立っている製品である。言うまでもない。でも、マイクロソフトとは、やっぱり違う。成立の過程が、あるいは初期の開発時の文化というか、当時のベトナム反戦を戦い、既成概念を破ろうとしていた学生たちの時代的な気分と重なり合っているんだ。MACのジョブスもMSのビルゲーツも同時代人であるし、友人同志で有るとも聞く。そう言う意味ではビジネスモデルの建て方の方向が真逆であったと言うことかも知れない。MSという新しいプラットホームをIBMをコアにして、全世界に波及せしめる戦略と独自の楽しさと面白さ、もっと言うと大人の玩具として追求したグループの違いかな。ビルゲーツは、全世界の空気と水に税金を掛け、徴税を独り占めにしたようなとてつもない結果を現出させた。

マックは世界的に多分4〜5%の普及率。かなり認知されている日本でも15%ぐらいだと思う。・・この項続く・・

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