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2010年1月21日木曜日

青春の光芒

日頃、テレビ番組をぼろくそに言ってる私ではありますが、ちょっと褒めたい時もある。最近のテレビ番組で、評価できるのは民放でもサイエンスものや、「日本の中小企業の技術」などを扱う情報番組がいっきに増えてきたことだろう。時代の雰囲気が「日本は金融とかじゃあなく、技術で生きるべし」なトレンドの勢いが出てきたからだろうな。また「農」の復活を後押しするような番組もかなり増えているね。「田舎住まいが格好いい」価値観も、ジャニーズ系の出演も多く一気に増大している印象がある。なかなか日本のテレビも棄てたもんじゃあないね。また、知識力とか雑学や漢字の知識量と深さを競うクイズキング争い番組は今の日本のテレビ番組の世界に誇って良いノウハウだと思う。アイディアや工夫のレベルはもの凄いモノがあるね。世界へ今後ドンドン売っていける正に日本のエンターテインメントの真骨頂だろうと思う。たまに見てるが、京大卒のロザンの宇治原(彼の漫才とかコントなど見たこと無いが)とか、早稲田出のマンガ家やくみつるさんとか、麻木久仁子さんあたりの知識量は幅広いし凄いものがあるね。

まず、「企業と技術」にわかりやすくエンタメ的に触れている番組の増大はうれしい。例えば先日こういうのがあった。「世界中の企業で200年以上の歴史を持ってる老舗は何社ありますか」7000社強在るそうだ。「その中に日本企業は何社ありますか」3500社強が、なんと日本企業なのですね。凄いですね。我がニッポンは東の端、つまり島という辺境に在ったのであちこちから来る文化が集積しやすい地勢にあったことがその要因と思われるが、それにしても驚きですね。金剛組という宮大工の会社が聖徳太子の時代に創立されて、世界一古い企業であることはかねてから有名ですが、この綿々と繋がってきた伝統が技術を支え、新しい技術を生みだし日本の現代にも受け継がれてきている訳だ。こういう事が日本の底力なのだろう。世界に冠たる事実だね。こういう日本の産業や企業文化、さらに高い技術を扱う番組やコーナーが凄く増大した。良いことですね。うれしくなる。

今後、内需にやはり限界が見えてくるだろうし、我が日本はアジアとどの様に付き合っていかなければいけないのであろうか。言うまでもなく日本は環境に関連した技術だけではなく、機械関連や通信関連には世界トップの技術を持っている。マンガやアニメ、サービスなどのコンテンツ産業も世界一と言って良いだろう。また、農業技術も自然農法も含めアジア全体を豊にしていける技術を持っている。昨日設立された慶応大学の清水教授の電気自動車の会社は、世界最新の省力型電気自動車の技術をリナックスと同様にオープンソースにするという。凄い。世界は第二期の産業革命に入りつつある。購買をあおり、企業が成長していけば事は足りる単純な世界では無くなった。天然資源は、30〜50年後には枯渇する。人口も一気に100億人に到達してしまう。如何に地球環境を持続させるか。大きな価値観の変化、パラダイムシフトが求められている今、日本には技術大国として、中国を筆頭とするアジアの「エネルギー燃焼」的産業構造を共生的なかつグリーンニューディール的な構造に再構築して、双方を共に豊にしてゆく義務が在るのだろうと思う。東の端にあり「世界の文化と技術を数千年に渡って堆積させてきた」日本はその経験と伝統を活かして、アジアの皆様にお返しして行く順番なのかも知れない。

今日(23日)、車メーカーのスズキの鈴木会長がNHKに出ていた。この矍鑠(かくしゃく)とした大人(たいじん)は、昔から僕が大好きな叔父様連の中の一人だ。70歳代だろうが、彼はいつも新鮮な事を宣う。スズキは去年ドイツのフォルクスワーゲン社と提携した。司会者が「スズキはインドが強い。ワーゲンは中国、ブラジルが強いわけですから、まずは販売ネットワークから提携を始まるのですか」ときいたら、言下に否定「私らはもの作りで生きてきた。ですから、ワーゲン社とは共通部品の設計の摺り合わせからはじめている」とすらりと言ってのけた。「向こうは大型が強い、当方は小型がつよい」とかの提携は上手く行かない。かつてクライスラーと失敗した経験がある。「今回は両者とも小型につよい」から、上手くいくのだ、と堂々と宣う。強さを相互にぶつけ合って更に良い物に止揚するという意気込みなのだ。通常の提携や合併は自分の弱いところを相手が持っており、相手が弱い点を当方が持っている場合に遂行される。が、おっとどっこい、鈴木さんは並の人とはちがうんだなあ。だから、スズキに納品している部品や素材メーカーは新たな意気込みで機能部品開発に余念がない。相変わらず御大は「うちらは中小企業ですから・・」と衒い無く語っていた。更にこういう番組が増えればなあ。

最近は読んでいないが、旋盤工で町工場の研究とか、時評をされていた小関智弘という人がいる。作家と言った方が良いのかな。1980年代に彼の本を1冊読んだことを思い出した。朝日や日経にも時々論評も寄せていたので、知っている人も多いかも。もの作りの現場からの旋盤工本人からの本当の報告であり、批評なのであったので、淡々とした著作ではあったが、人の心を揺さぶった。彼のプロフィールをコピーしてみた。キャリア50年の職人さんです。この小関さんのような人も番組にどんどん登用してほしいね。

■ 小関智弘さんプロフィール
都立大学付属工業高校を卒業後、地元の複数の町工場で施盤工として50年働く。1975年に『粋な旋盤工』で作家デビュー。町工場で働く人々の生活やものづくりへの取り組み方を自身の眼に写る観点から捉えた著書が話題を呼ぶ。2003年 文部科学大臣表彰受賞。
■職歴・経歴
1951年 都立大学付属工業高校卒業
      以後、大田区の複数の町工場で旋盤工として50年間働く。
1975年 『粋な旋盤工』(風媒社)で作家デビュー(岩波・現代文庫で再刊)
1981年 『大森界隈職人往来』(朝日新聞社)で第8回日本ノンフィクション賞受賞。    
     (岩波・現代文庫で2002年再刊)
2003年 文部科学大臣表彰受賞
2004年 『職人学』(講談社)で日経BP図書賞受賞

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先日、新宿を歩いていたときに、急に新宿御苑にいってみたくなり、30分ぐらい時間があったので、寄ってみた。入ったのは何年ぶりだろうか。撮影かなにかで、20年ぐらい前に来たような気がしないでも無いが、思い出したのは妻晃子と1970年かそこらに、言わば熱々カップルとして、手を繋いでゆっくり散策したことだ。公園に差し込む光と影が僕たち二人の思い出を甦らせてくれた。その時何を話したのだろう。将来のこと。結婚のこと。映画のこと。親たちのこと・・何を話ながら歩いたのだろうか。愛しているときの感情、恋しているときの高ぶり、今となっては、ほとんど忘れかけている感情かもね。無垢な無償の情感。人生で一番大切な心だろう。それを僕らは自然に共有していたんだ。そのとき、僕らから仄かであっても光芒が未来に向けて確実に放たれていたはずだ。考えると目頭が滲んでくるけれど、その心の高ぶりは遠い彼方だね。晃子と出会ったのは1969年、結婚したのは1972年、旅だったのは2005年12月。毎朝、自室で線香を手向け、僕は彼女の笑顔を脳裏に呼び寄せ彼女の声を静かに聞いている。

その新宿御苑の入り口に新しい作りの建物があり、喫茶室やオフィスや誰も見ていない都庁関係のガイダンス機械などがあった。アートギャラリーという部屋があったので、そっと入ってみた。中には沢山の小鳥やフクロウ、ミミズクなどのカラーリングされた木彫が展示されていた。表示を見ると「八王子何とか会」とか「新宿小鳥・・会」とかあり、趣味のご老人が心を込めて作成した作品とわかる。さえずりが聞こえてきそうな秀逸な作品もある。一人の老人が展示会の「店番」をしていた。御客は、僕と立派なニコンをぶら下げた70歳代の方。僕ももう少し経つと小鳥と戯れたり、草木を愛でたり出来る老境に入っていけるのだろうか。穏やかな日々って、僕にも来てくれるのであろうか。求めなければ来ないのであろう。でも、僕の場合強く求め探してもそのような安寧な環境は来ないかもしれないなあ。僕はどう生きて行ったらいいのだろう。

 

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