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2009年3月18日水曜日

ベトナムの小説「戦争の悲しみ」が凄い

息子もいつの間にか28才だそうで、先日嫁さんになる女性を連れてきた。正月に僕と長女の前で「今年結婚する」といい、その第一歩の段取りとして彼女とのご対面となったわけだ。新宿のベトナム料理屋で「333」ビールを飲みながら、3人でお話しした。息子は僕の仕事について、「ベトナムあたりでウロウロしてる」としか言っていないという。ふふ、それでも間違いはないが、準備の良い僕としては当校のパンフなど取り出して、営業まがいに熱弁。珍しく、僕は「上気」していたようだ。彼女は自分の彼氏とその親父は大分違うと感じただろうな。

息子はどちらかというと余計なことはしゃべらず必要なことや大事な件しか話さないタイプと思う。塾校では、一貫してブラスバンド。黙々と重いチューバを吹いていた。大学では東大と早稲田との三大学連合の山岳系サークルで、これまたあちこちの山岳を黙々と登攀(とうはん)していた。今でも、年末あたりは当時の仲間と山へ行っている。彼は僕と大分違い正に”黙々と一貫して歩む”人物だ。現在、化学・素材系の大手メーカーの研究員として仕事をしている。これから、彼のその骨太な精神力が大海の未来にて活かされれば有り難いと思っている。嫁さんになる女性を連れてきたことで、息子の人生と人格を客体化して見えた気がした。天上の妻の笑顔も瞼に見えた。

先週の土日に、ロバート・エバンスのドキュメンタリー「くたばれハリウッド」、デ・パルマ監督の「ブラックダリア」、ソフィー・マルソーの「スチューデント」、ユーゴのエミール・クストリツア監督「黒猫白猫」、石井輝男監督「網走番外地望郷編」、「ゴダールの訣別」、「ゴダールのカルメンという名の女」、「ゴダールの10ミニッツオールダーグリーン」、J・ジャームッシュ監督の「ナイトオンザプラネット」、中国チャン・イーモウ監督の「至福の時」を見た。「くたばれ・・」は、ローズマリーの赤ちゃんなどで、成り上がったプロデューサ エバンスの悲喜こもごもの一代記。面白い。デ・パルマのこれは、どう見ても不調でしょう。「ソフィー」はソフィーマルソーが若々しく、かわいい。「黒猫白猫」は傑作です。以前テレビで見て、じっくり見たいと考えていた作品の一つ。名前は無名だが、ユーゴ、バルカンあたりのジプシーや達者な役者をそろえて、画面の中はいつもカーニバル。敢えて強引に言おう。「フェリーニ、ルイ・マル、ブルース・ブラザーズをまぜこぜにして、ラテンの油で揚げた」ような可笑しい映画的狂想曲なのだ。「網走」、本当は「三代目襲名」「総長賭博」を探して無いので、代わりに懐かしく見た。40年前には”面白がって”見たが、時代の風雪に耐えられず、随分とチャチイ印象。

「訣別」と「カルメン」は快調。ゴダールの映画言語がバンバン。意味不明な分だけ、嬉しくなるぐらい。天才は流石です。このゴダール調がたまりません。「10ミニッツ」は若手やマイナー監督のオムニバス。ゴダールの企画なのだろう。玉石混合。「ナイト」は地球各地の様々な夜の出来事の短編6作。ジャームッシュのロードムービー風情が味わえる。「至福の時」は良いね。イーモウ監督の「初恋の来た道」「あの子を探して」と、これは彼の初期の「少女シリーズ」三部作。盲目の少女を騙しながら、親心を発揮する貧乏なおじさんたち。チャップリンの「街の灯」を想起させる。秀作である。ただし、手足(てだ)れていない分、前2作「初恋」「あの子」の方が初々しく印象深い。

ちょっと困っている。ベトナムでの空前絶後のヒット小説であるバオ・ニン(BAO NINH)の「戦争の悲しみ」がものすごく良いのである。ロブグリエ、レ・クレジオ、ビュトールなどを思い起こさせるヌーボーロマン技法。また、アラン・レネ監督の「戦争は終わった」を想起させる映画的なシノプシス。戦闘や空襲はハリウッドのアクション映画。全体を貫く戦争の狂気と殺戮の連鎖。偶然に「カラマーゾフ」と並行して読んでいたわけだが、それにまったく劣らずの人間の本性の描写。感服した。もの凄い作品であったことを、購入10年目にして紐解いて今回やっと知った訳なのである。これは、近々本気になって、書評書かねば、と僕の心に何かが強いてくる。難題だがねえ。

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