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2009年2月8日日曜日

久しぶりに芝居見たのだ

ベトナム私信と銘打ってるのにまたまた、少なくとも書き出しは、ベトナムに関係ない芝居のことになった。いま、深夜2時ごろ、NHK画面ではノルウエーの寒い分だけクリアな美しい風景ドキュメントが、静かに流れている。矢崎滋のナレーションが煩い。ところで、劇場で芝居を見たのは何年振りであろうか。というか、最後に見たのはなんだったのかなあ・・・。

妻晃子(てるこ)が好きだったこともあって、大学の3年生から中退し結婚したころ(1972年)までの3~4年間に二人でたくさんの劇場やテント小屋に足をはこんだものだ。彼女に誘われたほうが多いかな。赤テントの状況劇場の唐十郎、黒テントの自由劇場の鈴木忠志、菅孝行、早稲田小劇場の別役実、白石加代子また、暗黒舞踏の土方巽や麿赤児、小林嵯峨、天象儀館、流山児祥、そして、歌人寺山修二の天井桟敷と、綺羅星のような小劇場の革命児や俊英たちの天空を駆けるような芝居を、熱にうなされた若者で満員の狭い漆黒の桟敷の片隅から、僕と恋人であった晃子は毎回、食い入るように見つめ、手を握りあい、顔を見合わせ、ほかの客と一緒に爆笑し、檄を飛ばし、感動の拍手を送っていたのであった。まさに伝説的小劇場開花の群像たちと同時代人として合間見えていたわけだ。そのころ、ゴダール、トリュフォー、フェリーニ、アントニオーニ、アーサー・ペン、黒澤、深作、今村などを仲間と語り合い、そして芝居見て激情し、「明日のジョー」を毎週むさぼり読んでいた。

そんなこと書いているうちに、思い出すかなあと、おもっていたが、まだ、最後に見た芝居を思いださいが、多分、有楽町帝国劇場に来たブロードウエイミュージカル「レ・ミゼラブル」かもしれない。1990年頃かしらん。それ以前にニューヨークで家族で見ていたので、改めて日本語で確かめたくて見た記憶がある。そうだとすると20年ぶりぐらいになるのだろう。そのぐらい久しぶりに30人足らずの入場者で一杯の「新宿ゴールデン街劇場」で今日、一人芝居(実際は3人芝居であった)を見たのである。鈴木勝という役者で、僕もよくは知らない。今時の芝居の感覚がテレビのお笑い芸人化している予想もできるほど、彼の芝居も”コミックの線”を行っていたので、演技上の表現の中々のうまさもどこか予定調和的で破壊力に欠けた印象も無いではない。しかし、演者の鈴木や仲間の2名の派遣労働やアルバイト労働の苦痛と焦心に塗りこめられている現実生活がまるで、そのまま汗まみれに演じられているようで、抽象空間に不思議なリアリティーを与えていた。1月末に僕の自宅の引っ越し作業があった。その時、インターネットで依頼してたまたま偶然に来た運搬・便利屋がその鈴木勝さんと彼の奥さんであった。

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